2021/05/07 10:28
一位窯の代名詞ともいえる釉裏紅に、先代の田中一晃(たなか・いっこう)が興味を抱いたのは偶然のことでした。
一晃は佐賀県有田町での焼き物の修行の末、1965(昭和40)年、32歳の時に独立。佐賀県嬉野町に一位窯を開きました。初期は地元の赤土(嬉野朱泥)を材料にした陶器、その後は青白磁の磁器も生み出すようになっていきます。
そんな折、山形県米沢市で個展を開いていた一晃は、たまたま知人に紅花染めの着物を紹介されます。紅花染めは、紅花の産地である山形県の一部に伝わる技法で、鮮やかな紅色が特徴です。一晃はそれを一目見た途端、あでやかな発色にたちまち惹かれ、ぜひ磁器に描いてみたいと思いました。焼き物の技法の中で紅色を発色できる釉裏紅に通じるものを感じ、挑戦することを決めた瞬間でもありました。
しかし、いざ始めてみると技法としては全くの未知の領域。失敗の連続で、何度も窯出しを繰り返しました。
次回は、一晃が試行錯誤の末にたどりついた釉裏紅の魅力を説明します。
【田中一晃(たなか・いっこう)】昭和8年生まれ。本名一(はじめ)。有田の製陶所での勤務後、40年に独立、一位窯を開窯する。56年に一晃と改名する。平成14年1月1日死去。